【書評】大学なんか行っても意味はない?―教育反対の経済学より

個人的趣味(読書)

アメリカの事例だが日本と類似するところが多い


「大学なんか行っても意味はない?―教育反対の経済学より」という本を読みました。

結論から言うと、無駄な教育科目が多いし学校の授業が苦痛なら、早めに就職を決めた方が良いというのが著者の意見でした。

この早めに就職というのは、義務教育終了時ではなく、もっと早い時期のことを指します。

勉強嫌いで就職して、雇用に問題があれば親がそのリスクを減らしてあげれば良いというのが著者の考え方です。

そしてエリートはどんどん進学して、だめな人は専門のコースに入るなり、就職するなりそれ専門つまり職業訓練をしたほうが今の教育システムより効率的ではあるものの、著者は大学教授なのでこうなったら私は今の生活は維持できないとも述べています。

考え方に一石を投じることに意義があるとのことで、本書を書いたそうです。

雇用者が被雇用者を雇うのに選抜コストを下げるのが今の教育


本書を読んで感じたのは、雇用者が被雇用者を雇うのに以下のことをするからです。

・書類選考
・面接

有名な企業ほど応募が殺到するので、てっとり早く良い人材を見極めるのに必要なのが、高学歴である卒業証書だったというわけです。

一時期日本でも学歴フィルタが問題になりましたが、上記の理由から雇用者側も人の能力をてっとり早く見極める方法を知りません。

入ってからが勝負という考え方もありますが、既に会社側は被雇用者を学歴という色眼鏡で見ているため、低学歴で優れた人物であろうとも学歴以外で個人の能力を見極めるのに、10年近くの歳月を要するとの見方もあるようです。

日本もアメリカも勉強嫌いは多い


筆者が小学生や中学生だった頃、体育の授業以外は興味なしという生徒が大半だったことから「日本人は勉強嫌いだよな」と思っていたものですが、アメリカも一定数はこのような人がいるようです。

Twitterやブログで稼げる人は、ある特定の分野で異常なほど勉強します。

これを当たり前と思ってはいけません。

日本やアメリカで「普通」と呼ばれている人は、筆者が通った学校のように体育以外には興味がまったくないみたいな人が圧倒的多数を占めているはずです。

頭の良い人はこの「普通」が認識できません。

もしくは意図して見ないようにして、「普通」の水準を相当上げているものと思われます。

教師はリベラルだが、多くの学生はそうではない


上記の勉強嫌いと関連することですが、頭の良い学校ほど教師や教授は考え方がリベラルで、教え子もその考え方に洗脳しようとしますが、多くの学生はそんなものに心を動かされないとも著者は述べていました。

日本の教育の場合、教師の意見に反対したらどんなに正論だろうと、恫喝や暴力を使って無理やり意見をリベラルにしようとしますが、これが生徒の反感を買うことを教師自身がわかっていないのかもしれません。

「俺の言うことが正しい、反論は認めん」このような教師ばかり筆者は会ってきました。

アメリカも言い方はソフトかもしれませんが、書籍によると似たようなことをしているようです。

世の中のリベラルな人はこのような点で、優位性を保ちたいと思うのでしょうかう?

エリートとそれ以外の考え方の溝は、想像以上に深くこの問題の解決は相当程度の時間がかかりそうです。

他印象に残ったところ


これは筆者も思っていたことですが、いらない教科は早めに捨てて専門分野に早いところ行かせたほうが良いというくだりです。

オリンピック選手のエピソードを見ると、納得の行くところがあるのではないでしょうか?

生まれて物心ついたときから、英才教育を始める。

その結果自国の代表になったという話は枚挙にいとまがありません。

これを個人で応用を効かせると、無駄な教育は捨てて生活するために専門分野を自分で選択させることに筆者は賛成です。

それは漢文や、明治時代の文豪の文を小学生から勉強して、社会人になってまったく使わなかったことからそう考えいます。

読み書きそろばんを一通りやったら、ある程度は科目を選択性にしたほうが効率が良い気がしますがどうでしょうか?

まとめ


今の学校の授業は雇用者側の採用コストを抑えるために、学歴というフィルタを通してその時間と費用を抑えようと社会が生み出したものです。

そしてどこの国でもかなりの数の学生が、学校の勉強が嫌いです。

そういった学生は総花的な授業を教えるより、早めに仕事に関連した専門分野の授業をしたほうが社会的にはコスト安となります。

社会的階層が上の学校の教師は特にそうですが、リベラルな考えの人が多いです。

そしてその考え方を生徒に押し付けようとしますが、生徒たちはそんな考えの押し売りはゴメンだと考えている人が多く、この意識のギャップを埋めることは相当程度の時間がかかりそうです。

学校の授業は無駄が多い、例えば日本の場合は古文や漢文などをやっていても、社会に出たらそれを使うことは学者以外にはありません。

このような無駄を省くためのシステムが、本来は良いのだが世論はそれを望んでいないため、この正論をひっくり返すのは難しいといえます。

ご参考になれば幸いです。

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