筆者プロフィール

プロフィール

はじめましてしのっちです。

2019年現在妻と2人暮らしをしてます。

関東某所で事務方の仕事をしており、心理学と経済学に興味があり勉強しております。

経済学といいつつも家計に関することを中心に実家と自宅の双方の家計について、投資と節約の方法を実践しています。

このブログでは上記にあるとおり、心理学と経済学に関する少数派の行動にスポットをあて人生を有利に進める方法を模索していくものです。

以下が自分がたどってきた人生です。この人生観から心理学と経済学を応用した結果、他人がどう見えるのか見ていただけると幸いです。

貧困の思想とリベラルの思想

父母ともに所得が低い中育ったせいか、考え方が今ソーシャルメディアで現状に不満をぶつけている人の気持ちはよくわかります。

自分自身がかつてそうだったというのもあります。

しかしその反面異業種の人と付き合ったことがあるので、俗にいうアメリカのリベラルと言われている人たちの考え方も理解しております。

事実今筆者の考え方はアメリカのリベラルに近いです。

この相反する2つの思想に妥協する点を見出すことが、これからの日本には必要ではないかと考えています。

どうして群集心理に興味があるのか

戦争によって格差は解消され、選挙でポピュリズムが台頭することは決してなかった世の中で、格差がある閾値を超えるとポピュリズムが有利になるのはなぜなのか、というのがきっかけです。

群衆にとって幸せなときとはどんなときなのか。

この問題を日本に限定して考察するのが一番の興味となっています。

筆者の過去

家庭環境

出身は関東某所で比較的貧困層が多いところ。

父は中卒でドライバーとして働いていました。母は高卒で銀行に勤めていて、そこから転職を繰り返し最後は水商売で生計を立てていました。

高度経済成長期に両親は共働きでした。

弟がいますが自分より所得が低く年収90万円程度。

という環境で育ちました。父も母も現在の政権に反対派として長年投票しています。

簡単にいうとこの国の中では低所得に属しているということです。

父は自分と同じ時代ならニートになってもおかしくない性格で、母も引っ越しに関しては占いに固執して、こちらの話しを頑として聞き入れません。

このような環境で父は放任主義、母はスパルタ教育という環境で育ちました。

貧困の連鎖の学術論文に近い生活を目の当たりにして、実際自分も貧困に近い生活をしてきました。

幼少期から小学校入学まで

筆者は幼いころから鼻の骨が曲がっていました。それは小学校のころに耳鼻科に通って判明しました。

この原因は幼少期のころだと思われますが当時の記憶がありません。

またこのころから知らない人と話すときに、すごい汗をかく体質となっていました。

長い間話をして「この人なら安心だ」と思えるときのみ、汗をかかないようでした。

このときに大勢の前で恥をかいた記憶がぼんやり残っていますが、それが人と話すときの発汗と関係しているのかもしれません。

小学校から中学校まで

筆者の通った小学校の同級生は、体育のときだけ真面目に授業を受けるという環境でした。

同級生の中にはこちらが何もしなくても暴力を振るってくる輩がいました。反撃すると倍にして返してくるのでたちが悪いです。

筆者は耳に特徴があり、横に伸びている耳でした。そのことをネタに差別的なことをしてくる人もいました。

中学校も似たような環境で、発言の真似をしたら「今度真似したらぶっ殺すぞ」と小突いて発言する教師や、生徒に入試の過去問をやらせて自分は寝ている教師などがいました。

上記の環境を見て、ノーベル賞をとる人の先生はどんな人なのか興味がわいたことがありました。

このような学校環境のため、趣味は当時流行っていたファミリーコンピュータでした。

ゲームも当時流行のドラゴンクエストやファイナルファンタジーではなく、ウィザードリィやパズルゲーム、シミュレーションゲームなど戦略性の高いゲームが好きでした。

テレビゲームをするという行為は20代前半まで続きました。

また中学校は年功序列システムが確立されており、1年早く生まれただけで絶対服従のような某マンガのような環境で育ってきました。

当時から「自分の人生は学校を卒業するまでで社会人になったら生きていけない」と感じていました。

このような環境でよく中学まで非登校しなかったなと振り返ると感心します。

こうしてスラム街のような環境で育ったことと非力だったという事情が、現在はネットで不満を述べる人たちのような精神として培われていったのです。

高校卒業まで

高校は中学のときの同級生とあまり関わり合いたくないため、進学校に入学しました。

ここでは特に親しい友人は作れず、おらず存在感はほとんどありませんでした。

人と接する恐怖がまだこのとき残っていたため、バイトなどは恐ろしくてできませんでした。

学業ですが数学は得意な反面、理科が苦手というのが致命的で理系に進みましたが、大学受験はことごとく失敗し諦めて専門学校に行こうとしたところ、母から「受験科目が数学と英語だけの大学があるよ」と言われ、二次受験で大学を受けたところ合格してしまいました。

大学卒業まで

大学に入っても人付き合いは苦手なため、一人でいる時間が多かったです。

情報処理の学部に入りましたが、プログラミングの授業について行けず、最初は助手の先生に慣れるまで、何度も教えてもらいました。

授業が終わった後も残ってプログラミングの勉強をしていました。

情報処理の学部は前提として、高校までにプログラミングができる人を仮定して授業を進めることをしていたので、パソコンを持っていない筆者はついていくのに必死でした。

ここでも引き続き不安障害のため、バイトは出来ませんでした。

そんな中一番大学で面白かったのは論文です。当時は担当の教授から「人工知能なんてお遊びだよ」と言われていた時代に人工知能を使って株価予測をするということをしていました。

社会人になったこのような仕事がしたいと思ったものの、そういった仕事は就職活動をしてもなかったのです。

当時は2000年問題という、下2ケタの数字が西暦2000年になるとシステムに多大な影響を及ぼす問題がありました。

とある会社の説明会に行ったときに、積極的な発言でこの2000年問題のことを質問する学生が多数いました。

「エリート校はこんな質問するんだ」、技術的なことは面接で言わないで流行りを言えば受かるのか?と当時は思っていました。

筆者は2000年問題にかかわらなかったですが、担当していた開発者は死ぬほど忙しかったと聞いています。

結果エリート校の志望理由は「僕もソルジャーになって死ぬ覚悟があります」と言っているのと何ら変わらなかったのです。

社会人時代(20代)

「社会人になったら死ぬ」と思っていた当時とは異なり、生きて某上場企業の子会社に入社しました。

高校と大学はそれなりに知的レベルの高い同級生と過ごしたおかげで、それほど辛い経験はありませんでした。

しかし中学校までの悪夢が社会人になったら甦ったのです。

上への絶対服従、言葉による暴力いわゆるパワハラ、家に帰ったら人工知能の勉強するかと思ったら残業が多すぎて何もする気が起きない日々。

そしてプログラミングをやりたくて会社に入ったはずなのに会社を辞めるまでに覚えたプログラミング言語はVBA、つまりExcelだったのです。

当時覚えたスキルが受入テストのサポートと、システムの提案で転職しにくいものばかり身についていきました。

そしてどの職場にいっても必ず聞かれるのは血液型。

「A型はエリートでB型は屑」のような差別をここでも受けることになります。

「社会人で学歴が高いのに、なんで人間の質が低いんだ」と当時は嘆きました。

飲み会も強制参加で、無理やり人の給料を集団のために使わされて飲めないお酒を強要させられたりしました。

このような環境に5年いた頃、抑うつになり会社を辞めました。

そして情報処理業界は「もう結構です」となり転職活動をします。

ハローワークの人のアドバイスでは「ブランクがあると採用に支障がでる」との理由で、抑うつがあまり治らない状態で活動をします。

このとき日本の労働市場の閉鎖性を知ったのです。

肌感覚として「転職した者は裏切りものだ」「よそ者は入れたくない」と面接のときに面接官の態度が出てきます。

自分のキャリアと不安障害を抱えているため、結局しばらくは情報処理業界の下請け企業を転々とします。

プログラムの熱も冷めており、プログラマとして転職したもののモチベーションは下がる一方で、精神的にどんどん追い詰められました。

それは転職のたびにお金の減るスピードが速まるのと、「自分は何の存在価値もない」という無力感が心の中を占めていきました。

そして自殺を図ったものの死にきれず、何とか異業種に転職したのが30代になってからでした。

社会人時代(30代)

30代になって転機が訪れたのは、たまたま週末起業フォーラムという会に行って、いわゆる年功序列でえばらない「普通の人」と会って「こんな日本人もいるんだ」と思ったのがきっかけです。

ではなぜ週末起業フォーラムに行こうと思ったのかというと、会社が自分のことしか考えない会社ばかりに嫌気がさして、だったら独立という手もあるよなとぼんやり考えて、「行ってみるか」と思ったのがきっかけです。

それまでは、ネットで文句を言って行動しない人と同じことをしていました。

だからネットで批判する人の気持ちはわかります。

自分のやりたいことを言葉や精神に暴力を使って阻害する。

この期間が長ければ長いほど、行動する力は萎えてくるのです。

そして散々阻害して、「エリートは俺らにケチをつける」という思考になってしまうし、変えようと思っても暴力が恐ろしいため最初の一歩のハードルがとてつもなく高くなってしまうのです。

脱線しましたが、情報処理産業を脱出したのがサブプライムショックで一番不景気のときに解雇されました。

そこから7カ月転職活動をして、パートで異業種に転職しました。

パートなので給料は安いため、生活費をどんどん切り詰めていきました。

ここで首になったら死ぬしかないとまた思ったため、このときから恐ろしいほど図書館で本を借りて読みました。

会社で付加価値をつければ首にできないだろうという考えがあったからです。

有言実行をしましたが、不況のため手取りの給料がどんどん下がっていったので、転職活動を開始しました。

またこのとき、とあるゲーム会によく参加しており、その当時会った人が婚活パーティーやるから来てくださいと誘ったので消極的ではあったものの参加しました。

そこで現在の妻と出会ったのです。

ここから劇的に環境が変わります。

まず転職して今の職場に勤め始めました。続いて結婚と転居をしました。

そこから4年連続で昇給をして何とか生活を立て直すことに成功して、副業で本を出版するようになり、現在に至っています。

まとめ

情報処理産業に勤めていたまでの人生と、それ以降の人生で会う人の人種が異なっています。

ゆえにネットで不満を書き込む人の気持ちがわかりますし、いわゆる起業家のような情熱のある人の気持ちもわかります。

この2種類の人種の間には溝が深くあり、海外もこの問題を意識している学者が結構いるようです。

そういった人の意見も取り込みつつ、非常に難解な問題をどうやったら解けるのか勉強していこうというのが一番の趣旨です。

社会の下層にいる人はどうやったら知恵を身につけることができるのか、希少性というものに着目しそこを伸ばせばいいのではないかという点にスポットをあてて整理していきます。

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